『コミンテルンと日本』および『天皇制の歴史』について

山本正美

 

労働運動研究 19877月 No.213

 

 

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  この一文は最近相次いで刊行された次の二つの本の紹介を兼ね、この機会に、これらの本の中で扱われている時代とテーマにいささか関係のある筆者の考えを述べたものである。

 

 

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  村田氏編訳の『コ、ミンテルンと日本』は全体で三巻、総ぺージ数が「七二八ページに及ぶ大冊ものである。うち既発行分は一九一九〜一九二八年の資料を扱った@と上掲のAである。一九三三〜一九四三年の資料を扱うのは続いて発行される予定のBである。書題は『コミンテルンと日本』となっているが、内容は「コミンテルン」のほかに「プロフィンテルン」と「共産主義青年インタナショナル」関係の資料も多数含まれていて、これら三機関の日本の共産主義運動に関する重要な決定、決議、論文などがほとんどもれなく網羅されている。

  編訳者は@に載せた「まえがき」の初頭で次のように指摘している。

  「戦前の日本の共産主義運動は、コミンテルンに代表される国際的労働運動の働きかけを機縁として成立し、その援助のもとに運動の戦術方針をつくりあげ、国際的な運動の一翼として反戦、反ファシズム、民主主義、社会主義の目標にむかってたたかった。……他面、一時期に、コミンテルンの方針に現れた歪みは、日本の運動にもその跡を遺した。ここから結論されることは、戦前期の日本の労働運動の研究はコミンテルソを中心とする国際的運動との不可分の関連において為されるべきだということである。」

  この編訳者の、戦前の日本の共産主義運動におけるコミンテルンの指導的な、しばしば決定的な役割に関する指摘は、この指導の適否とは関係なく、正しい。したがって、この一文において筆者が後で述べるように、また犬丸氏編集・解説の『天皇制の歴史』()()が取り上げているように、戦後のかなり長い時期においても、特に独占資本の支配、天皇制の変質、農地改革の意義などを巡っての論争において、日本の共産主義運動におけるコミンテルンのこのような役割の影響が尾をひいたことを考えれば、戦前戦後をとわず日本の共産主義運動の歴史を研究する場合には、コミンテルンその他の国際労働機関の日本問題に関する主要な決議や指導的論文を無視することはできない。

  その意味において、筆者はこの村田氏の編訳書を、座右の書として、強く推薦したい。なお同氏には、同じく大月書店から刊行された『コミンテルン資料集』(全六巻)、『コミンテルンの歴史』(上下巻)があり、全く信頼のおける、エネルギヅシュなコミンテルン問題の研究者であり専門家、であることを付け加えておきたい。

 

(三)

  次に、犬丸氏の編集・解説になる書は、歴史科学協議会が校倉書房を通じて刊行している『歴史科学大系』三十四巻の中の二巻である。天皇制の問題は敗戦前と後とを問わず日本の共産主義運動を挙げて論争に巻き込んだ戦略問題の中心問題であり、今日のような保守反動勢力の台頭期においてはなおさらその本質の徹底的解明が求められている問題である。本書は天皇制に関する戦前戦後の主要な論文を多数収録しており、戦後の日本史を研究するものにとって欠かすことのできない資料集である。編者の解説も要を得ている。

 

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  次に、上記の資料集の中で取り上げられているテーマの中でも最も主要なものと思われる戦前の日本帝国主義の特質と天皇制の役割および戦後におけるその変質について、筆者の見解を簡単に述べることにしたいい。

  レーニンは、一九一六年執筆の論文「帝国主義と社会主義の分裂」の中で、当時の日本とロシアの帝国主義の特質について次のように述べている。

  「日本とロシアでは、軍事力の独占や、広大な領土の独占、あるいは異民族、中国その他を略奪する特別の便宜の独占が、現代の最新の金融資本の独占を一部はおぎない、一部は代位している。」(大月書店版、レーニン全集第二三巻 二三ページ)

  レーニンはこの規定で戦前における日本資本主義の発展の特殊性、その支配体制の特質を極めて簡潔かつ明瞭に特徴づけている。第二次世界大戦前に日本資本主義が深刻な経済恐慌に突入し、中国や東南アジア諸国における日本帝国主義と米英帝国主義の対立が、直接戦争に突入するに至るまで激しくなり、またこれら諸国での反日帝民族解放闘争が、中国や朝鮮では、続いて社会主義革命に至るほど高まるにつれて、このレーニンの規定の正しさが証明された。

  日本では、明治維新後に資本主義が急速に発展したが、その段階を画したのはいずれも朝鮮、中国などの軍事的占領、軍事力を背景としたこれら諸国の国民の経済的・経済外的収奪であった。またこのことが、国内における労働者階級の植民地的搾取・農民の半農奴的収奪・人民の警察官僚的支配の維持となり、大資本、寄生地主、軍閥・官僚の共通の経済的・政治的利益を基盤とする支配体制、絶対主義的天皇制を確立・維持させたのである。また一方では日本における資本主義関係を比較的急速に発展させながら、他方では国内の経済や政治や社会における前資本主義的遺制を広範に残存させたのである。戦前の日本の資本主義経済は、強行的に育成された軍事関係産業部門を除き、主として繊維産業や建設業など軽工業や中小企業に依拠する、当時の欧米先進資本主義諸国に比べて本質的な脆弱さを内包した経済だったのであり、また政治的・社会的にも極めて深刻な矛盾を抱えていた。

  このような当時の日本資本主義の特殊な性質とそれに伴う深刻な矛盾とは、同じく当時の日本および世界の革命運動(コミンテルン)"日本における革命の性質と課題〃の規定を巡って長期にわたる(戦後にまで尾を引く)混迷をもたらしたのである。この小文ではこの問題に詳しく触れることができないので、戦前の国内では「講座派対労農派」の長年にわたる激しい論争、国内および国際的には「政治テーゼ草案派対三ニテーゼ派」の対立、戦後には米帝占領下における「人民革命」を主唱する「民族派」と反独占資本・社会主義革命を主張する「国際派」の対立から始まる、これもかなり長期にわたる日本の共産主義運動内における抗争を指摘するだけに留める。

  ここでもう一度強調しておきたいことは、このような、世界の共産主義運動でもまれないわゆる"戦略問題"をめぐる激しい抗争は、日本の共産主義運動の思想的、理論的レベルが低かったから起きただけではなく、その時代の日本資本主義の発展の歴史的特殊性、それに基づくこの国の経済的、政治的、社会的特質とその複雑さによるところが多い。しかし今日ではこの国、つまりわが日本が、だれが見ても独占資本が支配する現代的金融資本主義国であり、世界でも有数な現代的帝国主義国であること、しかもこの発展が始まったのは終戦後からであることに疑念を抱くマルクス主義者はそう多くはないだろう。

 

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  ()の初頭に述べた戦前の日本帝国主義の性質に関するレーニンの規定が正しいとすれば(筆者はその正しさが歴史によって完全に立証されたものとして疑わないのだが)、この日本帝国主義の崩壊過程の開始期は、なにも敗戦当日ではなく、航空機や航空母艦などの長期にわたって機動戦を展開できる戦争手段の開発(最後には軍事的には太平洋戦争に止めを刺した原爆の開発とその使用)ならびに上述の民族解放運動の広範な台頭によって、日本帝国主義がその「軍事力の独占」や「中国その他を略奪するための特別な便宜の独占」を急速に喪失していった戦争末期の一定時期に設定するべきであろう。

  なぜ筆者がいまごろ改めてこんなことを言い出すかというと、筆者が終戦の年、一九四五年一二月二日・五日付けの『東京新聞』に「かくて、日本においては経済(特に土地制度)の分野において、政治の分野において未だ幾多の封建的残さいが致命傷を受けることなく残置されているにも拘わらず……古い露骨に軍事的半封建的な、専制的な支配者とその権力は一応打破された。……したがって、これら諸勢力を基盤とした天皇制も……ブルジョア的変質を遂げつつある。」と書き、敗戦によって日本資本主義の支配体制の性質に基本的な変化が起きていること、それに応じて党の戦略方針、政治方針を転換させる必要があることを暗に指摘したとき、当時三二年テーゼの戦略規定がそのまま生きていると信じ込んでいた日共指導部や旧講座派の人びとから総反撃を受けたのはいうまでもないが、筆者の立場を基本的には支持してくれていた人びとの中にも「時期尚早であった」として批判された人たちが何名かいる。これらの人びとは、ある人は何よりも党の「鉄の規律」を優先するぺきだとする立場から、ある人はそのうち党の方針も変わるだろうという淡い期待から、また歴史的過程が多かれ少なかれ明瞭な形態をとって現出したときを質的区切り(一定の新しい歴史的段階への転換)として重視される歴史学者の立場から批判されたのだが、政治の動向やそれを動かしている基本条件の変化ならびにそれに基づく階級勢力の相互関係の根本的変化に関心を持ち、党が基本方針にそれを取り入れることを強く望む一共産主義者としての筆者の立場からすれば、またそれに加えて三二年テーゼの作成に関与するチャンスを持ち、その内容の審議にもある程度通じていた、またこの問題が日本の革命にとって最も重要な問題だと信じていた筆者からすれば、またこの歴史の転換がなお表面的、現象的には「完結して」いなくても、労働者階級の前衛党の正しい政治方針とそれに基づく精力的な大衆闘争の展開によって、この歴史的転換を革命の側に(独占資本の側にではなく)有利に転回させることができるし、またそうしなければならないと堅く信じていた筆者からすれば、転換期の到来を告げるのがむしろ遅すぎたといまでも考えているというのが、偽らざるところである。(特に、革命の戦略的段階の転換の到来についての当時の日共指導部の愚鈍とさえいえる無理解が招いた日本共産主義運動内の長期にわたる混乱や犠牲をおもえばなおさらである)

  なお当時の筆者の立場については前述の東京新聞掲載の論文のほかに、部分的ではあるが、日本帝国主義の特質と戦争の問題については村田氏の本のAを、天皇制の問題については犬丸氏の本()の該当部分-を参照して頂きたい。

表紙へ

村田陽一編訳

『資料集コミンテルンと日本

A一九二九〜一九三二』

発行所 大月書店

定価 九五〇〇円

歴史科学協議会編

編集・解説犬丸義一

『歴史科学大系第一七、一八巻

天皇制の歴史()()

発行所 校倉書房

定価各巻 三五〇〇円